事務所開設3周年記念イベント「S(h)ake Chita 2019」

S(h)ake Chita2019 @春扇楼 末廣

今年の6月で知多デザイン事務所は開設して3年を迎えました。
2019/6/29(土曜)、開業3周年に合わせ、第3回となる「S(h)ake Chita 2019」を開催いたします。※イベントの概要はチラシとFacebookのイベントページにまとめていますので、合わせてご確認いただけると幸いです。

SHAKE CHITA 案内チラシ(PDF形式)

Facebook イベントページ
https://www.facebook.com/events/412704439320261/

開催にあたって(「S(h)ake Chita 2019」への思い)

開設3周年と、来年2020年代のキリのいい区切りを迎えるということで、これからの知多半島での新しい暮らしかたや仕事のことも考え、いい感じの地域に暮らしたいし、それを作っていきたいと思います。そのための一助となるべく、これまでよりもちょっと大きめの規模で情報交換と交流のイベントを開催してみることにしました。

現在、日々進行している問題として、地域の伝統文化を担っていた方々の後期高齢化、人口の減少と空き家の増加、産業としての観光の伸び、技術的には5GやAI、IoTやドローンなどの進歩などなど、周囲の状況や環境が大きく変わりつつあります。

知多半島の産業の構造や観光のあり方なども、昭和・平成時代の延長だけではない方法で、少しバージョンアップしたり、新しい潮流みたいなものがもっと増えていくべきではないでしょうか。
それには、江戸時代くらいの土着の文化、風土に根ざしたルーツや核となる価値を受け継ぎ、現代的に発展することが重要で、有用だと考えています。
そのために20〜40代くらいに方たちとともに、これからのことを考えてみたいなと思います。
(そういう真面目な思いだけではなく、たまには直接あってみんなで飲みたいな、みたいな気持ちも当然あります!)

独立する際、いろいろと調べたり、創業セミナーなどにも参加した中で、”起業したうち、約70%が3年以内に倒産する”ということを何度か聞きました。それで、まずは3年の壁を乗り越えたいと思っていたのですが、おかげさまで早々に廃業することもなく、なんとか3年目を迎えることができました。

 

事務所を始めた年には、知多半島のクリエイターや面白いことをしている人に会いたかったのと、知っている人同士も知り合いになって欲しくて、この「S(h)ake Chita」というイベントを始めました。

イベントタイトルやコンセプトの説明などは無粋で若干恥ずかしいのですが、知多半島は最盛期には200以上も酒造蔵=酒のメーカーがあったという酒どころ、醸造どころでした。

そういえば、”Shake” =シェイクという言葉には “Sake” =酒が入っているなぁ、と気がつき、知多のお酒でいろんな人が混ざり合う(カクテルみたいな)イベントのイメージが湧いて、”シェイク・チタ”と名前を付けました。
色々な地域で活動しながらも、あの人は今どうしてるかな、という気持ちを、知多半島の中だけでなく、同じような価値観を持ったり、同じような環境に向き合っている人たちと共有できたら心強いなと考えています。
これからはいよいよ土に根差そうかという思いもあり、美浜町の野間地区に30年ほど空き家だった古い家を買いました。
なかなかに痛んでいたり現代的な暮らしに向かないところがあるので、リノベーションしたり補修をながら、居宅と事務所兼コミュニティスペース的なものを作っていきたいと考えています。
(家の進捗はこちらこちらのInstagramなどで公開しています。次回は自分達のもっているスペースでのS(h)akeChitaができたらなと思います。)

春扇楼 末廣を守り、活用する

春扇楼 末廣 外観

今回の会場となる(旧)料亭 春扇楼 末廣の存続と活用を進めたいというのも、今回のイベントを開催する理由です。

こちらの春扇楼 末廣の創業は明治15年。現存している建物は大正12年新築されたものです。
JR半田駅のほど近く、”御幸通り”(=天皇陛下が通ったことのある通り)沿いにあり、往時は大変な賑わいを見せたそうです。末廣に保管された写真からその様子の片鱗を伺うことができます。

春扇楼 末廣 120畳宴会場

春扇楼 末廣 120畳宴会場 写真

春扇楼 末廣 写真半田市御幸通り?

同じく海運と醸造で栄えた、潮干祭で有名な半田市内の亀崎地区には、「望洲楼」という現在も営業を続ける素晴らしい料亭があり、2階から山車を見る建築の様式などのために街並みが一定の連続性を保ち、地域の人々や行政努力によって景観が保全されている部分があります。

しかし、市町村合併以前の古くからの”半田”においては、半田運河にかかる源兵衛橋の周辺やミツカン本社周辺を除いて、半田運河一帯が海運や醸造とその周辺の生業で栄えた地域だったということが徐々にみえづらくなっています。

美浜町の野間の海岸沿いや知多市の岡田地区、あるいは常滑の大野のあたりなど、他の知多半島の地域、あるいは他県の郊外のまちなどでも同様のようですが、この10年20年の間に、古くからの黒壁の家や明治以前から昭和初期の建築は減り続けていて、随分と風景が変わってきています。

そうした中、古くからの地域の隆盛を伝え、半田市の歴史や日本の明治から昭和初期の文化を物語る、末廣のような象徴的な建造物は、地域の精神的な核となり得る”場(スペース)”として貴重な存在です。地元の年配の方にとっては、”あの末廣”というような特別な存在で、明治時代から「三扇楼」(「春扇楼 末廣」「古扇楼」「福扇楼」)と言われる、高級料亭として名高い場所だそうです。

春扇楼 末廣 舞台

末廣周辺 吉田初三郎 鳥瞰図 昭和13年

 

末廣に残されていた半田市の案内には、極端な歪みを加えた独特の鳥瞰図で有名な吉田初三郎が描いた昭和13年の「半田市鳥瞰図」が添えられていました。その中央市街地の部分にも、中埜酢店(現ミツカン)や松華堂菓子舗などと並んで、末廣の文字がしっかりと描かれています。
吉田初三郎の鳥瞰図はどれも素敵で味わい深いのですが、この半田市のものも、現在の市役所の位置に東洋紡績の工場があったり、現在の半田市と見比べながら見ていくのも楽しいです。

 

この建物を活用して、多くの人の力を借りて守り伝えていけるように、認知度を上げたり、少しでも経済的な足しになればと思います。

今後は、レンタルスペースとして貸し出しも行っていきます(店舗やオフィス、コミュニティスペースなど、有償での月極などでのレンタルも検討中です)。

今回のイベントに参加いただく方、そのほか、半田市にゆかりのある方や思いのある方、よい使い方をしていただける方、なにとぞご支援、ご活用など、様々な形で関わりを持っていただけますよう、お願いします。